スズキ・アルトの初代やターボが気になる!ワークスや実燃費も!
1970年の後半の軽自動車市場は、エンジン排気量アップや、車体寸法規格の拡大などの 影響で販売台数が伸び悩んでいる状況に陥っていました。軽の乗用タイプには15%の物品税がかけられている頃です。 軽の商用車には物品税が非課税だったことに目を付けたスズキが、徹底的にコストダウンを図った軽ボンネットバンを発表しました。 それが「スズキ・アルト」です。当時47万円という価格で販売されたこともあり、爆発的に売れました。
1970年の後半の軽自動車市場は、エンジン排気量アップや、車体寸法規格の拡大などの 影響で販売台数が伸び悩んでいる状況に陥っていました。軽の乗用タイプには15%の物品税がかけられている頃です。 軽の商用車には物品税が非課税だったことに目を付けたスズキが、徹底的にコストダウンを図った軽ボンネットバンを発表しました。 それが「スズキ・アルト」です。当時47万円という価格で販売されたこともあり、爆発的に売れました。
昭和の時代で、一番元気な時期が1970年代ではなかったでしょうか? 大阪で万国博覧会が開催されて、日本中が、未来への希望と夢を抱いていた頃です。 新幹線は山陽新幹線が開通し、交通網が発展してきました。 道路整備も進み、東北自動車道が開通したのが1972年です。 自動車の普及も進んで、1家に1台の時代になっています。 しかし、自動車の排気ガスによる大気汚染の問題も社会問題になってきました。 そんな時代にホンダが発表したシビック。 1973年には世界一厳しい排気ガス規制を、一番にクリアした技術をシビックに搭載して世界を驚かせます。
イタリア車だけではなく、各国の自動車メーカーのデザインを手がけた、イタリア人、ジョルジェット・ジウジアーロ。エッジの効かせた、未来マシンのようなデザインから、優雅な曲線を多用したデザインまで、数々の名車のデザインを手掛けてきた巨匠です。その巨匠がデザインした日本車の名車が、この「いすゞの117クーペ」です。
ホンダがS500、トヨタがヨタハチを発売したあと、マツダが出したスポーツカーが コスモスポーツという車です。あの車に乗ってみたい! あの車が欲しい!と、日本のクルマが、夢を与えてくれる乗り物になってきた頃です。テレビがカラー放送開始になり、ミニスカートが大流行した1967年(昭和42年)にコスモスポーツが登場しました。
東名高速道路が全線開通し、人類初の月面着陸を果たし。銀行に初のATMが出現。 そんな時代に企画・開発された日本初のスペシャリティーカーが1970年に発表されました。その名前は「セリカ」。これまでになかったデザインが好評で爆発的に売れました。このころ、街には喫茶店が増え始めたころで、店の名前に「セリカ」「瀬里花」などが多かった記憶があります。
昭和の時代を代表するスポーツカーと言えば、誰しも「Z」と答えるのではないでしょうか。「Z」は、クルマを題材にした漫画には、必ず登場しました。とある刑事物のドラマや漫画にもたびたび登場しました。そんな憧れのクルマ、日産フェアレディーZについて見ていきます。 そんな憧れのクルマ、日産フェアレディーZについて見ていきます。
ホンダはすでにスポーツカーのSシリーズを発売して、4輪メーカーの道を歩み始めていました。しかし、スポーツカーの販売台数は限られたもので、当時爆発的に売れていたスバルR360のようなクルマをホンダでも生産しようとしていました。当時ホンダは、バイクメーカーとしてはすでに世界レベルの技術を持っていました。そのバイクの技術を流用して企画された乗用車がN360です。いろいろな写真と共に紹介していきます。
昭和のモータリゼーションのけん引役は、大衆車のヒットでした。 クラウンや、コロナは、大衆には高嶺の花。 パブリカはちょっと非力だし・・・ 高速道路も徐々に整備され、もっとパワーがある安い車ができないだろうか?その要望に応えるために登場したのが、トヨタカローラです。 昭和を代表するクルマと言っても過言はないと思います。
「パタパタパタ~・・・・。」トヨタS800の走行音を表現してもらうと、ほぼ100%この表現が使われています。昭和の時代を、パタパタと走り抜けてきた、トヨタ初のスポーツカー、スポーツ800。通称「ヨタハチ」。じっくり見ていきましょう。
昭和を代表する自動車メーカーの一つが三菱です。いわゆる「かっこいい!」と感じるような、感性に語り掛けてくるようなクルマを数多く生んできたメーカーだと思います。日本国内では、現在トヨタや日産、ホンダ、マツダの後塵を拝してしますが、海外ではスリーダイヤモンドは、トヨタより有名だったりする地域もあります。その三菱が送り出した、昭和の名車コルトギャランについて見ていきます。
私は田舎生まれの田舎育ちですので、田舎でホンダS500という車が走っている姿を見たことはありませんでした。もし、見ていたら・・・外国製の車なのだろうと、信じて疑わなかったと思います。子供の目で見ても、当時走っていたほかの車とはデザインが違いますから・・・。
小さいころ、町中をトコトコと走っていた3輪型の自動車。 魚屋さんや、豆腐屋さんなど、小さなお店の店先にチョコンと駐車していました。 大きすぎず、小さすぎず、丁度いい大きさのトランスポーターだったのです。 その車の名前は、ダイハツ ミゼット。 昭和の流通を支えてきたともいえる、この名車について見ていきます。
昭和の時代の、自動車メーカーと言えば、トヨタと日産の2強の時代でした。 技術の日産に、対して品質のトヨタ。 特に、コロナとブルーバードのいわゆるBC戦争は 熾烈なものだったと語り継がれています。 しかし、この戦いが日本のモータリゼーションをけん引し、日本が世界一の自動車産業王国になることが出来たんだと思います。
1955年に発売されたトヨペットクラウンを小型化し、大衆に手の届く車として、 1957年にトヨペットコロナが発売されました。トヨタの数ある車種の中でも、ボディー形状や派生車種の種類が多く発表されています。個人用途だけではなく、小型タクシー用にもたくさん販売されています。昭和の時代に発売されたコロナの系譜を、主流のモデルについて見ていきましょう。
1958年にスバル360が爆発的な売れ行きを見せる中、東洋工業(現在:マツダ)は 軽自動車を開発中でした。マツダと言えば、中高年の方ならば「ロータリーエンジン」を連想しますが、それはもう少し先の話になります。東洋工業初の4輪軽自動車の開発を統括していたのが、ロータリーエンジンを開発した山本建一さんというエンジニアなのです。さて、東洋工業が送り出した初の軽自動車とは?
大勢で乗ったり、長距離移動には向かいないけれど、 普段使いに丁度いい車をという発想で開発されたのが、 筆者も街角でよくみかけたスバル360という軽自動車でした。 まだ今でも時折見かけることがあります。日本のモータリゼーションの一翼を担った名車だと思います。
「トヨペット」って愛嬌のあるブランド名ですよね。1947年にトヨタ初となる小型車SA型乗用車を発売するときに、一般から公募して決まったブランド名なのです。タイトルにトヨペットクラウンが純国産車第一号と書きましたが、厳密にはSA型乗用車が、国内技術だけ作られた最初のクルマでした。しかし、ほとんど売れなかったのです。そこで、今ではトヨペットクラウンが、量産された純国産車第一号と言われています。
昭和の時代、多くのドライバーが1度はあこがれたクルマが「日産 スカイライン」です。スカイラインは、もともとはファミリー向けのセダンとして開発されたクルマです。しかし、3代目スカイラインにレース仕様のエンジンを搭載し、「GT-R」のグレードを設定してからは、スカイラインGT-Rは、スポーツ車の代名詞のようになりました。
日産が開発した、3代目のスカイラインのことを、通称「ハコスカ」といいます。 ボディの形状が箱のように角ばっているので、そういう呼称になりました。 1968年から1972年まで製造されていました。
昭和の名車といえば、真っ先に浮かんでくるのがトヨタ2000GTですね。 スポーツカーブームが盛り上がり始めた昭和40年代にトヨタが 満を持して発売した2000GTは現在もマニアックな人気を集めていますね。